主導権は「あなた」にある

人生を楽しく主体的に生きよう。

仕事を投げ出してもしなければならないこと。人を守るということ。

先日、僕は久しぶりに焦りました。

冷や汗だらだらでした。

 

それは、目の前で僕の大切な部下が

意識をなくして倒れたのです。

 

千葉で打合せを終えたあと、

僕と部下のAは電車に乗っていました。

午前9時半の出来事でしたね。

 

僕たちは座っていたのですが、

車内はまあまあ満員。

 

非常に朝が早い打合せでしたので、

僕は部下Aに「少し寝ていいよ」と声をかけ、

部下は目をつむっていました。

 

その後、僕はスマホで仕事をしていたのですが、

数分経って急に部下Aが

 

 

ガタンッ。

 

 

と急に椅子から滑り落ちました。

 

 

詳しいようすは書きませんが、

 

そのときはもう

つい数分前までの部下Aとは思えない

状態でした。

 

意識がなくなっていました。

 

 

 

車内は騒然。

僕は急いで部下Aを抱きかかえ、

「緊急停止ボタンを押して下さい」と

目が合った20代くらいの男性に声をかけました。

 

 

これは余談ですが、

緊急事態の場合は「誰かお願いします」というよりか、

目が合った人や、特定の人を指さして、

「あなたお願いします」と言った方が即座に協力してくれます。

 

 

群衆はときに緊急事態であるかどうかを麻痺させる機能を持ちます。

「あれ?大丈夫かな?まあ俺関係ないしいっか」ってなります。

 

だから、特定の人に責任を持たせ、

協力者を仰ぐのが効果的です。

(そういう類の本読んでおいてよかったと思いました)

 

 

 

その後、次の駅で部下Aをかかえておろしたあたりで

部下の意識は回復していきました。

 

 

救急搬送後、

その日は一日、検査入院をすることになったので、

僕は部下の隣に座り、背中をさすったり、声をかけたりしました。

 

 

その日はちょうど月末だったので、

重要な業務もたくあんありました。が、

 

 

 

仕事なんてどーでもいい。

 

 

 

これは僕にとってはじめての感情でした。

 

 

病室で部下Aの横にいることしかできない無力感。

でも、横にいることしかできないことが、

どれほど自分にとって重要であるかということ。

 

これほどまでの強い意志があるのは、自分でも驚きました。

 

僕がいることで、部下Aがよくなるのかは分かりません。

でも、それをしなければ、「僕は僕じゃなくなる」という気持ち。

道徳観というか倫理観というか。

 

 

初めての体験でした。

なんというか、人として少し強く大きくなった気がしました。

 

 

 

何もしてあげられないけど、ただそばにいること。

 

それは一見、無意味なことなのかもしれないけど、

 

自分にとってとても意味があること。

 

強い意志の表れということ。

 

 

よくドラマや映画で毎日毎日健気に看病するシーンがあったりします。

それまでの僕は感情移入ができにくかったですが、

今は少し違う気持ちで見れるかもしれません。

 

 

その後、部下Aはよくなりました。

本当に本当によかったです。

 

 

仕事を投げ出しも、あなたがすべきこと。

したいこと。

強い、固い、信念をもってできること。

 

 

それはどんなことでしょうかね?

 

 

 

主導権は「あなた」にある。